牟岐町データ 海の生き物 PR

牟岐町で海の生き物を見よう!

モラスコむぎ

モラスコむぎは、徳島県海部郡牟岐町にある貝類に関する資料館及び水族館である。

「モラスコ」(mollusco)はスペイン語で貝類等の総称である軟体動物を意味している。展示棟と管理棟とからなり、展示棟では貝類の標本や、地元の漁師が捕らえた魚介類が展示されている。

1985年(昭和60年)より始まった国の木材需要拡大推進緊急対策事業の一環として、翌1986年(昭和61年)に実施されたモデル木造施設事業の中で建設され、翌1987年(昭和62年)には国の指定を受けた。

基礎データ

  • 開館時間:午前9時〜午後4時30分
  • 休館日:毎週月曜日
  • 入館料:個人で小中学生300円、高校生以上400円。団体で小中学生200円、高校生以上300円。

展示

貝の資料館

モラスコむぎの本展示である貝類を一堂に展示したコーナー。世界の珍しい貝類が展示されており、貝や化石の標本が展示されている。

漁師さんの水族館

地元の海や川に生息している生物100種を展示している水族館。生物のほとんどが地元の漁師が捕らえたものである。和歌山県すさみ町住江のすさみ町立エビとカニの水族館と姉妹館契約をしている。

交通

  • JR牟岐線牟岐駅下車、車で10分。
  • 徳島自動車道「徳島インターチェンジ」から車で約140分。

牟岐駅

牟岐駅(むぎえき)は、徳島県海部郡牟岐町大字中村字本村にある、四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の駅。駅番号はM24

普通列車の大部分は当駅で系統分断される。特急列車も全て停車する。当駅以南及び阿佐海岸鉄道は有効長が短い為(3両)、多客期に特急を増結した場合、当駅で解結が行われ、普通列車として運転される。

2010年3月12日までは徳島方面からの最終列車の到着は日付を越えていたが、2012年3月17日ダイヤ改正時点では23時26分となっている。

徳島インターチェンジ

徳島インターチェンジ(とくしまインターチェンジ)は、徳島県徳島市にあるインターチェンジ。

徳島市街に隣接するICだが、徳島自動車道自体が神戸淡路鳴門自動車道との接続がなく、徳島県北部を横断する形をとるため、通行台数はあまり多くない。このICから淡路島・本州方面へ向かう場合は、一般道を経由し神戸淡路鳴門自動車道の鳴門ICに乗り継ぐ形となる。

現在四国横断自動車道阿南中村線の着工が開始され、鳴門JCT-徳島JCT-当IC(10.8km)の建設工事が行なわれている。なお、徳島JCTとの距離は約1.9kmとなる。(従って現状、同自動車道のキロポストは0.2からはじまっている。)

水族館へ行こう

四国地方の水族館

新屋島水族館

新屋島水族館(しんやしますいぞくかん、英称:New Yashima Aquarium)は、香川県高松市屋島東町にある水族館。標高約300mの屋島山上にある日本でも珍しい水族館であり、2006年7月現在魚類を中心に286種類の動物を飼育している。

新屋島水族館は、1969年に四国電力の子会社などが出資し、屋島山上水族館(やしまさんじょうすいぞくかん)として開館した。 運営は、高松琴平電気鉄道の関連会社である株式会社屋島水族館が行っていたが2006年9月30日限りでいったん閉館。10月1日付けでせとうち夢虫博物館株式会社に事業売却され、整備改修後、12月23日に「新屋島水族館」として営業再開した。せとうち夢虫博物館は、世界的水槽メーカーの日プラの 子会社で、本水族館は日プラの最初の納入先であるいわば同社の事業の原点であることから経営を引き継ぐことを決めた。 今回の改修の目玉は回遊プールの新設で、このプールは、直径10m・地上部分2.2m・地下部分2.2mで、2頭のカマイルカを360°継ぎ目なく観るこ とが出来る。また、バンドウイルカのペアも隣のプールで観ることが出来る。

2008年3月29日には、旧レオマワールド内にあったせとうち夢虫館が隣接地に移転オープンした(当初は2007年9月の予定であったが、当館の開業に伴う道路混雑から見送られていた)。しかし、瀬戸内海国立公園内で建造物に制約があり、当初予定していた外観の変更や展示方法が実現できなかったことも一因となって、移転からわずか1年後の2009年3月31日限りで閉館となった。イルカやアシカのショーが日に4~5回行われているが曜日によって違う。ショーの途中には「ふれあいコーナー」があり、選抜で餌を与えることもできる。

桂浜水族館

桂浜水族館(かつらはますいぞくかん)は、高知県高知市にある水族館である。 現在210種、約6500点の海や川の生き物が展示されている。

1931年4月に、桂浜に開館。太平洋戦争中一時閉鎖されるが、戦後再開される。1952年に社団法人化。それと同時に高知県の博物館第1号に指定される。

小規模な水族館であるが、館内から桂浜や太平洋が一望できる自然を取り入れたレイアウト、黒潮で獲れる魚を展示するなど、特徴のある水族館となっている。

四万十川学習センターおさかな館

四万十川学習センターおさかな館(しまんとがわがくしゅうセンターおさかなかん)は、愛媛県松野町の道の駅虹の森公園まつの内にある水族館。主に、四万十川の淡水魚を中心に約120種を展示している。

水族館

水族館(すいぞくかん)とは、海や河川・湖沼などの水中や水辺で生活する生き物(水族)を主として収集・展示している施設である。水族館では魚介類や無脊椎動物、両生類、海獣類、爬虫類といった動物や、水草などがガラスやプラスチックといった透明な水槽に入れられ、公開されている。水槽の多くは家庭で維持する観賞魚水槽と同じサイズかそれよりも大きな水槽になっている。

海獣(イルカ、アシカなど)によるショーなどをしている水族館もあり、これらのショーが水族館の目玉になっている場合も見受けられる。また、単独で存在する水族館以外に、動物園の中の1施設として存在する所、遊園地のような遊具が設置・併設されている所(複合施設の中の1つ)もある。

海浜・湖畔・川辺に近いところに立地している場合が極めて多いが、必ずしもそうでない場合もあり、海から遠い場所に立地しているにもかかわらず海洋生物を飼育展示していることを施設の特徴としている水族館も多い

歴史

水族館が作られるようになった経緯にはそれぞれ異なる4つ流れがあり、それらが独立ではなく相互に関係しながら発展していった。

1つはホーム・アクアリウムの流れである。1665年のサミュエル・ピープスによるパラダイスフィッシュ飼育の紹介や、1718年のルイ・ルナールによる『魚、エビ、カニの彩色図鑑』出版などに喚起されて、17世紀のヨーロッパにおいて熱帯魚飼育ブームが起こった。魚を健康的に飼育する方法の研究という科学的な視点や、魚の絵を描くためという芸術的な視点からもホーム・アクアリウムの需要が生じ、このブームに伴って水槽設備の開発も進んだ。このような水槽設備の開発に携わった人物として、アクアリウムの名付け親でもあり、海洋生物の画集を出版したフィリップ・ヘンリー・ゴスや、水槽の水の循環装置を開発したウィリアム・アルフォード・ロイドなどがいる。このようなホーム・アクアリウムによる水槽での魚の飼育技術の向上や水槽の開発という流れの中、1830年に博物学者のド・モリンズはフランスのボルドーにおいて、世界初の水族館の一つであるとされる、水槽に入れた魚や貝を並べた展示を行った。

もう1つは18世紀の近代科学の発展に伴って発生した博物学の一分野である動物学の流れである。1828年にロンドン動物学協会によってロンドン動物園が建設されたことを契機として、動物学の研究に伴う教育の一環としてその研究施設を一般公開するという考えが広まり、その後、この動物園の付属施設として水族館が作られるようになった。初期のものは、フランスの国立自然史博物館であるジャルダン・デ・プラントの爬虫類コーナーに小さな水槽が並べられた程度のものであったが、1853年には世界初の水族館の一つとされるロンドン動物園併設のフィッシュハウスのような本格的な水族館に発展していった。

また、18世紀のヨーロッパでは産業革命の流れにおいて、その成果を誇示し国威を発揚するために万国博覧会をはじめとした博覧会が多く開催されていた。1851年のロンドン万国博覧会で行なわれた鋳鉄のフレームにガラスをはめ込んだ水槽を使用した魚の展示のように、水槽と水生生物の展示はしばしば博覧会の目玉とされた。後年、日本において1897年の第2回水産博覧会で展示された水族館が博覧会終了後に移築されて水族館として継続的な展示が行われたように、博覧会による話題性も伴って多くの水族館が建設される切っ掛けとなった。

最後の1つは、大学をはじめとする教育研究機関が建設した臨海実験所の流れである。18世紀後半、海洋資源の開発のために水産学の研究が盛んとなり、水産学の基礎である生物学の教育、研究のために必須の施設として臨海実験所が建設された。世界初の海洋実験所は1872年に建てられたナポリ海洋実験所であり、次いで1886年に東京大学の付属設備として三崎臨海実験所が建てられた。これらの臨海実験所では研究のために海洋生物を飼育する水槽や図書館等の設備が充実しており、研究費を賄う目的で入場料を徴収して水槽や標本等を公開するという事が行われていた。また、臨海研究所は海に面した景観のよい場所に建設されることが多かったため、後年には付属の水族館や博物館を伴う総合的な観光施設が作り上げられることもあった。第二次世界大戦前の日本の水族館はその1/3が国立大学の臨海実験所付属のものであったように、臨海実験所は水族館の普及に対して大きな役割を果たしていた。

初期の水族館

世界初の水族館が何かという事には諸説あるが、1830年に博物学者のド・モリンズがフランスのボルドーで行った、魚介を入れた水槽の展示を世界初の水族館とするのが定説となっている。しかし、これは水槽を並べただけの単純なものであったため、その規模や施設などから1853年に作られたロンドン動物園のフィッシュ・ハウスが世界初の水族館であるという見方もある。

1853年、ロンドン動物園の付属施設として開館したフィッシュ・ハウスは、多くの温室と同じような設計が施されていた。P・T・バーナムはロンドン動物園の水族館に続き、1856年に早くもアメリカで初めての水族館を、ニューヨークのブロードウェイにある彼の設立したバーナム博物館(英語版)の一部として開館したが、バーナム博物館は1868年に焼失した。1859年には、ボストンにボストン水族館(英語版)が開館した。その後ヨーロッパでは、パリのジャルダン・ダクリマタシオン(英語版)やウィーンのアクアリウム・サロン(共に1860年)、ハンブルクのハンブルク動物園(英語版)の一部としてのMarine Aquarium Temple(1864年)、アルフレート・ブレームが設立したベルリンのベルリン水族館(1869年)、ブライトンのブライトン水族館(1872年)など、いくつかの水族館が開館した。

旧ベルリン水族館は1869年に開館した。旧ベルリン水族館はベルリン動物園の場所ではなく、ベルリンの大通りであるウンター・デン・リンデン沿いという都市の中心部に建設された。水族館の初めの責任者は、1866年から1874年までの間ハンブルク動物園の責任者であったアルフレート・ブレームであり、彼は1874年までその職に務めた。ベルリン水族館は教育に重点を置いており、水族館の一部は天然の岩で作られ洞窟のように設計されていた。この天然石で作られた洞窟はGeologische Grotteと呼ばれ、これは「地球の地殻の外層」を表している。この洞窟はまた、アザラシのための鳥と プールが特色であった。旧ベルリン水族館は3階建の建物であり、2階に魚の入った水槽が置かれ、機械やタンクは1階に設置されていた。3階には、ブルーム の特別な関心のために鳥の入った巨大な鳥小屋が置かれ、その周りには哺乳類の檻が置かれてた。この施設は1910年に閉館した。

アムステルダム動物園(英語版)のアルティス水族館は、1882年、ビクトリア朝風の建物内に建設され、1997年に改築された。19世紀末に建設されたアルティス水族館は当時最高水準の技術であると考えられていた。

日本で初めて作られた水族館は、1882年に開園した上野動物園に併設された「観魚室(うをのぞき)」と呼ばれる小さな淡水のアクアリウムである。その敷地面積は17.5坪であり、15ほどの水槽が置かれていた。その後、1897年の第2回水産博覧会において兵庫県の和田岬に設置された遊園地である「和楽園」に水族館が併設され、ここで初めて「水族館」という名称が用いられた。東京大学教授であり「水族館の父」と呼ばれる飯島魁によって設計されたこの水族館は、淡水水族館であった観魚室と異なり濾過循環設備を備えた本格的な海水水族館であった。博覧会に併設された施設であったため博覧会の終了とともに和田岬の施設は閉館したものの、同県の湊川神社に移築されて1910年までの間営業していた。文部科学省が所管する日本動物園水族館協会では、この和田岬の水族館を日本の水族館の原点であるとしており、神戸市立須磨海浜水族園では、日本における水族館発祥の地は神戸であるとしている。

徳島観光